業務外メモ@edy_choco_edy

IT企業で働くアニメ/ゲームプロデューサーの業務外メモ。書籍、インディーズゲーム、業界情勢について書いています。

【『経済財政諮問会議』資料を読む】コロナ対策としての『デジタルニューディール』(あるいは、辻褄合わせとしての『アフターコロナ』?)

 

 4/16付の経済財政諮問会議にて触れられていた『デジタル・ニューディール』について、noteで書きました。

 https://note.com/edy_choco_edy/n/ndf1ec2f1fe0f

 

 『既存の政策』と『コロナ対策』の繋ぎ込みとしての『デジタル・ニューディール』という用語法なのかな、と思いますが、東日本大震災の復興政策を見るに、その実効性には注目していきたいところです。

 興味のある方はご一読頂ければと思います。

 

【『未来投資会議』資料を読む】『創造性』が大事だが『創造性・発想力だけでは高賃金は得られない』から導かれる未来とは?

 

 掲題のタイトルで、未来投資会議における、リカレント教育についてnoteに投稿しました。

 https://note.com/edy_choco_edy/n/n2ab666d4a63b

 

 noteはまだ慣れないところがありますが、新たなプラットフォームとして色々試してみたいと思います。

 

 

【オンライン診療・遠隔教育】新型コロナウイルス感染症対策に関する特命タスクフォースとそのメンバー

 コロナウイルス対応の一環としてオンライン診療の政府による検討が始まりました。

 その策定は規制改革推進会議の特命タスクフォースが当たる、とされています。

 院内感染防止へオンライン診療 電話の初診解禁も 政府検討・新コロナ(時事通信

 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200402-00000116-jij-pol

 安倍晋三首相は3月末の経済財政諮問会議で、オンライン診療などに関する規制緩和策の策定を指示。これを受けて2日、政府の規制改革推進会議の下に設置された特命タスクフォース(議長・小林喜光三菱ケミカルホールディングス会長)の会合が開かれ、具体的な検討が始まった。来週中にも緩和策を取りまとめる。

 

 この特命タスクフォース(TF)は4月2日に発足し、すでに内閣府の規制改革推進会議のウェブサイトに、第一回の議事次第、資料が掲載されています。

新型コロナウイルス感染症対策に関する特命タスクフォース 議事次第

https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/meeting/tf/20200402/agenda.html

  なお、オンライン診療・服薬指導だけでなく、遠隔教育についても検討対象に。

( 開会 )

1. オンライン診療・服薬指導について
2. 遠隔教育について

( 閉会 )

 オンライン診療については事務局(=政府サイド)から下記資料が提示されています。

新型コロナウイルス感染症の拡大防止のためのオンライン・電話による診療・服薬指導の活用について

https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/meeting/tf/20200402/200402taskforce02.pdf

  大きいポイントは、やはり初診のオンライン診療解禁でしょう。

風邪等の急性疾患の患者や受診歴のない患者についてもオンライン診療・電話診療の実施を可能とすべきではないか。

 『風邪等の急性疾患』や『受診歴のない患者』という風に、コロナウイルスに限った例示ではない点から規制改革という姿勢を感じますが、どういった議論がされるかは興味深いです。

 オンライン診療については、医師の職能団体であり、政治勢力としても有力な公益社団法人 日本医師会(日医)からも、強く懸念が表されており、コロナウイルス対策以前からも様々な議論がなされてきているだけに、今後の展開に注目です。

コロナ重大局面で「オンライン診療」に猛反対、日本医師会のズレた認識

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71546?page=3

日医が根拠としているのは、医師法20条の規定。同条は「医師は、自ら診察しないで治療や処方箋を出してはならない」と定めており、これを踏まえて日医の今村聡副会長は「医療の大原則は医師と患者の信頼関係に基づく対面診療にある。オンライン診療はあくまでも対面診療の補完であり、利便性のみで安易にオンライン診療が行われるのは不適切」と主張している。

 遠隔教育については下記のような論点が事務局から提示されています。
1 ICT 環境の早急な整備
新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、登校できない児童生徒が自宅等において端末を利用してオンラインでの授業が受けられるよう、可能な限り早期に端末が手元に届き通信環境も含め利用できるようにすべきではないか。
 リモートが一般化するほど、自宅にオンライン環境や適切な端末がないことは、大きなデジタルデバイド(デジタル環境の格差)に繋がります。これは、学校が『端末管理・貸出』、学校設置者である地方自治体が個別の家庭にまで『無料ネット環境』を提供できるのか? という非常に悩ましい問題でもあります。
 その他の論点も、遠隔教育と法制度という観点では、非常に興味深いです。先述のICTについては勿論ですが、『教師設置基準』『同時双方向』『単位取得数の制限緩和』などは今後の遠隔教育の普及、重要性に大きな影響を与える検討と思われます。
2 遠隔授業における受信側の教師設置基準の見直し
児童・生徒が自宅から ICT で行う学びについては、受け手側に教師が不在となるが、この場合であっても正式な授業に参加しているものとして認められるようにすべきではないか。
3 遠隔授業における「同時双方向」要件の撤廃
児童生徒が時間や場所の制限を受けずに学び続けられる環境を整えるため、授業の内容に応じ「同時双方向」以外のオンライン上の教育コンテンツを使用した場合についても正式な授業に参加しているものとして認められるようにすべきではないか。
4 遠隔授業における単位取得数の制限緩和
高校、大学における遠隔授業の単位取得数の算定について、柔軟な対応を行うようにすべきではないか。
5 オンラインカリキュラムの整備
児童生徒や学生が自宅等で学習を進められるように、オンラインカリキュラムの充実を図るべきではないか。
6 オンラインでの学びに対する著作権要件の整理
デジタルの資料配布を原則許諾不要・補償金とする改正著作権法について、これを即時に施行するとともに、令和3年度からの本格実施に向けて補償金負担の軽減のための必要な財政措置を講じることについて検討すべきではないか。
 
 なお、この『特命タスクフォース』メンバーは下記の方々となっています。
 もともと、内閣に設置された規制改革推進会議の議員として関連するワーキンググループメンバー、若しくは、同様に内閣に設置された未来投資会議の関連する領域の方がメンバーとなっているようです。
 
・小林 喜光 議長
 『内閣府規制改革推進会議』議長、三菱ケミカルホールディングス取締役会長
 
・高橋 進 議長代理
 『内閣府規制改革推進会議』議長代理、経済学者。
   住友銀行等を経て、日本総合研究所、民間初の内閣府政策統括官など。
 
・大石 佳能子 医療・介護WG座長
 日本生命マッキンゼーを経て、メディヴァ創業。
 
・菅原 晶子 医療・介護WG委員
 経済同友会常務理事。2014年には厚労相の大臣補佐官を経験。

・大槻 奈那 雇用・人づくりWG座長
 マネックス証券 執行役員、金融アナリスト。大学教授など。

・夏野 剛 雇用・人づくりWG委員
 株式会社KADOKAWA取締役、株式会社ドワンゴ代表取締役社長CEO
 N高等学校 理事。

・金丸 恭文 未来投資会議議員

・翁 百合 未来投資会議 構造改革徹底推進会合「健康・医療・介護」会合会長
 
 コロナウイルスの終息及び経済への影響はまだ先が見えない状況ですが、コロナウイルスによってより強く顕在化している社会課題について、これを契機に大いに官民で議論されることで、大きく規制緩和・規制改革が進む可能性があります。もともと、規制や利害関係の調整、実行推進が難しかったが、コロナウイルスで『変わらないといけない』と誰もが実感しているからこそ、期待がかかるところです。
 新たな事業機会を検討する上でも、本タスクフォースに限らず、規制改革推進会議や未来投資会議の今後の動きに注目していきたいと思います。

【書評】令和元年の『錯覚資産』と昭和38年の『功名が辻』で学ぶ「プロデュースすること/されること」

この記事のサマリー

書籍『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』と司馬遼太郎功名が辻』はセットで読むと大変面白い

  • 司馬遼太郎功名が辻』(昭和38年連載開始)は「錯覚資産でプロデュースすること/されること」の実践論として読める。
    • 十両の馬」で語られる、司馬遼太郎の「錯覚資産」論
    • 本人が錯覚資産の沼に落ちないためには、“冷静なプロデューサー”と“自然さ”が必要、という学び
  • 東京オリンピックの前年』としての令和元年と昭和38年
    • 漠然とした高揚感と不安の中で『個人としての功名論』≒『錯覚資産』論は膾炙する  - 実践に踏み出す人ほど『功名が辻』を読んで欲しい

令和元年の『錯覚資産』

  • 『錯覚資産』は、ブロガーとして有名なふろむださんが書籍『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』で提唱・紹介したことで一躍有名になった考え方です。

  • こちらの本は一部内容が無償公開されていたり、ご本人による連載記事が充実しているので詳しくはそちらに譲りますが、ご本人の定義を引用すると以下の通りです。

    「錯覚資産」とは 『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』 という本の中で私が定義した概念で、 「人々が自分に対して持っている、自分に都合のいい思考の錯覚」 及び、それを引き起こす事実のことです。

  • 内容としては、心理学でいうハロー効果や認知バイアスであり発想自体は新しいものではない、と著者も述べていますが、その活用をキャッチーにまとめきったことが新しく、タイトルを含めて世間に一石を投じた本です。

    • 内容については賛否両論があるようですが、著者曰く「まずは知らしめること」 が目的とのことで、その点では大成功している印象です。
    • 『錯覚資産』という呼び名がキャッチーでタイトルが挑戦的、露悪的だったことも含めて、著者の戦略勝ちだなあー、と感心していました。
    • もともと日本でも2000年代から『セルフプロデュース』や『セルフプロモーション』の重要性を主にアメリカのビジネス書から輸入した書籍が多くありましたが、以下のような情勢から、ついにベストセラーに結実した、と言えそうです。
      • SNSの進歩で誰もが世間にアピールしやすくなったこと
      • 転職や起業が急速に一般化されるようになったこと
      • その経済的成功がマスメディア、特にテレビでも好意的に語られるようになったこと
      • 結果的に、多くの人が『なんとなく』不安や懸念を抱き始めてきたこと。
  • 書籍の初出は2018年8月ですが、現在も書店で平積みされていくことを見ると「令和元年」の雰囲気にマッチした一冊、と言えます。

昭和38年の『功名が辻

新装版 功名が辻 (1) (文春文庫)

新装版 功名が辻 (1) (文春文庫)

  • 本作は、司馬遼太郎の作品の中でも珍しく、女性が主人公になっています。
  • そしてまた、英雄譚というより『プロデューサー論』として読める面白みがあります。

    • 大筋としては、実在する戦国武将 山内一豊が、『ぼろぼろ伊右衛門』と呼ばれた青年期から、豊臣秀吉らの信任を受け、土佐藩主に成り上がるまでを描いています
    • 一方で、本作では『その妻 千代』の想いや知略が魅力的に描かれ、古風に言えば『良妻賢母の内助の功』、今風に言えば『どのように凡庸な夫(※)をプロデュースするか(そして、その破綻)』が、本作の一大テーマとなっています。
      • ※無論、本作はあくまで司馬遼太郎によるフィクションであり、山内一豊が凡庸であったか、千代がどのような人物であったかには議論があります。ですが、このフィクションとしての強いテーマ設定こそが司馬遼太郎作品の大きな魅力でもあります
  • 例えば、プロデュース論として特に具体的に描かれているものとして、物語序盤で山内一豊が名馬を購入する話があります。

  • 功名が辻』1巻のラスト「十両の馬」という章です。
    • このエピソードは戦国武将の逸話をまとめた江戸時代の書『常山紀談』にも登場する著名なもので、下記からほぼ内容を読むことができます。 iyokan.itigo.jp
  • 端的にいうと

    • 山内一豊織田家に勤めていた頃、織田家領内に大変な名馬を売りに来た商人がいた
    • あまりに良い馬で、誰も手を出せない。山内一豊もそのひとりで、貧しいその身を嘆きます。
  • そんな中、一豊の妻 千代は貧乏生活に耐え忍び、嫁入りの際からずっと大切にしてきた黄金の小判10枚で、その馬を買うように、と勧めます。

  • 千代は以下のように一豊に話します。
    • 近々、主君である織田信長の主催により、京都で天皇を前にした馬揃え(=馬を伴った武将の天皇への顔見世)が行われると聞いた。こういう時にこそ、良い馬に乗るべきであること
    • この黄金10枚は自分が嫁入り前に叔父に貰い受けたもので大切に隠し続けてきたこと。
  • 面白いことに一豊は大喜びしつつも以下のように恨み言を言います。
    • なぜ貧乏生活の中でもっと早くこの黄金のことを言わなかったのか
    • こんな大切なものをなぜ夫の自分に隠してきたのか
    • 理由はよく分かるが、賢すぎる(ぶっちゃけ怖い)
  • このあたり、凡庸な男が賢すぎる妻の言葉に困惑する姿が大変生々しく描かれており、司馬遼太郎の筆力に惚れ惚れする場面でもあるのですが、それに対する千代の対応もまた素晴らしく、ただただ泣くことで、一豊を驚かせ、納得させるに至ります。

    • 内心、ちょっと賢すぎたかな、と、とりあえず泣いてみせる、という当たりに千代という女性の、ある意味で恐ろしいほどの賢さが表現されたエピソードでもあります。
  • その後、結果的に山内一豊の評判は大変高まります。例えばこんな風に、です。

伊右衛門が黄金十枚で買ったといううわさは、長浜城下だけでなく、安土城下にもひろまった』

『「ほほう、山内伊右衛門とはそれほどの男なのか」』(「功名が辻」1巻より引用)

十両の馬』に見る、「自然さ」という『錯覚資産』プロデュース論

『人が、他人を見ている眼は、するどい一面もあるが、他愛のないうわさなどで映像をつくってしまうようである。千代は、そういうことを見抜いていたようであった』

『千代は、馬などよりも「うわさ」を黄金十枚で買ったといっていい。馬は死ぬ。うわさは死なないのである』(「功名が辻」1巻より引用)

  • これらの文章から、千代という人物が、夫である山内一豊の印象を的確に捉え、その印象・評判の向上のため『投資をした』『プロモーションを仕掛けた』という、今風にいえば『プロデューサー』であったことを、司馬遼太郎が指摘したかったのだろう、ということが分かります。  - 更に、このエピソードを通じて、千代が単なるプロデューサーではなく『錯覚資産形成において優れたプロデューサー』であったことを示す構造が隠されています。

  • 千代という女性が馬を通じた夫の一豊に投資した構造は、以下のようになっています。

    • ①『馬揃え』を理由に、一豊に馬を買わせたこと(短期的な目的による本人の説得)
    • ② 実際には『名馬を買えるほどの人物である』という一豊の評判のために投資を行ったこと(錯覚資産を通じた長期的な評判の形成という隠れた目的)
    • ③ しかも、本人には「評判形成」という「隠れた目的」を知らせなかったこと
  • ここで重要なのが3番目の「一豊本人には隠れた目的を知らせなかったこと」=「自然さ」というプロデュース方針です。

    • 思うに「錯覚資産」形成や「プロデュース」において危険なことのひとつに「本人/周囲がそれを意識しすぎることで、失敗すること」があります。
      • 分かり易い例でいえば、あまりに強いゴリ押しのアピールにより「本人が意識しすぎる」「周囲がそれを感じ取る」、結果として「不自然さが露呈し、ひんしゅくを買う」といった失敗です。
        • 「英語が話せることをアピールし過ぎて邪見にされる新入社員」
        • 「露出のためにキャラを変えようと様々な努力をするも痛々しいタレント」
    • いずれも、スキルや努力としては悪いものではなくても、受け入れられにくい「不自然さ」が残ってしまいます。
    • 残念ながらこれらは「プロデュース」としては失敗事例といってもよいでしょう。
  • この「十両の馬」のエピソードでいえば、千代の図らいにより、一豊の認識は以下のようになり、理想的な結果を生み出します。

    • 妻の内助の功でなんとか手に入れることが出来た、という認識
      • 本人が実力を見誤らない
      • 結果として調子に乗らず、ただ事実を述べることができる
      • その自然な事実が、人々に好感を得て、良い噂として広まっていく
    • ただただ馬が欲しい、という要望を妻が叶えてくれた、という認識
      • これにより、投資者である千代に対する自然で、深い感謝の念が生まれる
      • 結果として、プロデュースする側/される側という意識が生まれずに、効果・結果と良い関係性が維持される
  • もし仮に「一豊の自身が財産をもって馬を買う」或いは「評判形成という意図を明らかにして千代が投資した」場合、前述のような『自然さ』は生まれず、上記のような理想的な結果には至らなかった可能性があります。
  • 分かり易くいえば「一豊が自分の財産で買ったことにする→調子に乗る→破滅」「一豊が千代の賢さに劣等感を抱き続け、自信を持てない→破滅」といったルートです。
  • 結果としていえることは、このエピソードから「内助の功」や「良妻賢母」といった単語に収まらず、千代という“冷静なプロデューサー”による“自然さ”に則ったプロデュース方針が、山内一豊の評判を飛躍的に高めた、ということが読み取れる、ということでしょう。

東京オリンピック前年の「錯覚資産」と「功名が辻

  • 功名が辻』が連載されたのは昭和38年から昭和40年、西暦でいうと1963年から1965年という「高度成長」の期間です。
    • 特に「東京オリンピックの前年」というタイミング、おそらく人々の中に漠然とした高揚感と「功名」、立身出世と成り上がりの期待、そこで負けてしまうことへの不安が満ち満ちていたであろう中で、「功名」(そしてそのプロデュース)を真正面からテーマとしたのは、流石、司馬遼太郎といえる気がします。
    • 更に言えば、司馬遼太郎はその期待、不安へのアンサーとして、「功名」(と立役者としてのプロデューサー)がどこに行き着いたのか、までを描き切っているのも「功名が辻」の大変な魅力のひとつでもあります。
  • 奇しくも同じく「東京オリンピックの前年」というタイミングで人々の心情に対して、最も現代的なアンサーとして支持を集めているのが書籍『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』、『錯覚資産』に注目が集まっていることは、けして偶然ではないように思えます。

  • 個人的に興味深い、書籍『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』と『功名が辻』の共通項がもうひとつあります。

  • それはいずれも「職業人としてより良い個人ブランドとは?」をテーマとして、その具体的なアプローチを説いていることです。

  • 例えば、あるタイミングで、山内一豊は「年収アップ」のために「転職」をします。司馬遼太郎は、会社員の比喩で以下のように描写しています。

    『(与力とは)いわば、出向社員のようなものである。親会社から派遣されている将校のことで、これがこんどの場合、羽柴という子会社の社員になった、というわけである』(「功名が辻」1巻より引用)

  • この転職とその成功のためのプロデュースもなかなか面白く、妻である千代が、織田信長配下のままよりも、羽柴秀吉の直属の部下としてリスクをとっていくべきだ、と考えたうえで「自然さ」という原則を守ったうえで、現代のサラリーマンに通ずるアプローチを行っています。

    • 「できれば自分の父の故郷に屋敷が欲しい」と一見わがままのように、羽柴秀吉の城下に引っ越し、上司と近い距離を保つように仕向けていた -(いわば子会社社長である)羽柴秀吉とよくコミュニケーションすることで印象づけをしていた -(子会社の有力幹部である)竹中半兵衛らに対して、日常的な雑談の手紙を送り、武将の間でも夫のことがよくうわさに出るようにしていた
  • この点を取り上げても「単純接触効果」など心理学を駆使して、適切な形でブランド形成を行い、「転職の成功」に繋げていることは「錯覚資産」の描写としても、かなり先駆的なもの、といっても良い内容です。

    • 総じて、たとえ会社員という組織人であっても「個人ブランド」の意味が大きいことの証左が、まさに山内一豊の「武将」としての立身出世そのもの、といっても過言ではないでしょう。
    • そしてまた、妻 千代というプロデューサーという存在、その最期(※)までを描き切ったことに『功名が辻』と司馬遼太郎の凄みを感じます。
      • ※今回の記事では触れていない後半では「功名=個人ブランドでの出世」(とそれを手掛けたプロデューサー)の行き着く先が、人間の業を感じさせる、叙情溢れたものとして描かれています。これもまた『錯覚資産』を考えるうえで『功名が辻』をおすすめする強い理由でもあります。
  • 「高度成長期(昭和38年)」と現代では、多くの状況は違うものの「オリンピックの前年」という漠然とした高揚感、期待と不安の中で人々が「自分自身」のことに目を向け、答えを求める様は変わらないようです。

    • 繰り返しとなりますが、その期待と不安に対する最も現代的で、支持を集めているアンサーが『錯覚資産』、書籍『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』だとすれば、その実践に踏み込む人ほど、今まで述べてきた通り『功名が辻』は考えさせられる題材となるでしょう。
    • また、根本的には『戦国時代』『高度成長期(昭和38年)』『現代(令和元年)』においても、根底にある『人間』というものに違いがない、という気づきも得られます。
    • 少なくとも『功名が辻』を、今、そのような観点で読むことで、今まで以上の示唆が得られるのではないか、と思います。

新装版 功名が辻 (1) (文春文庫)

新装版 功名が辻 (1) (文春文庫)

終わりに

  • 連休中に『功名が辻』を読み返していて、自分自身の考えの整理のために一気に書き上げたものですので、ご意見・気になる点あればぜひお気軽にコメント頂ければと思います。
    • 読み返したのは学生以来10年ぶりだったのですが、改めて読み返すと、妻 千代の『内助の功』に収まらない企みに、『これは個人ブランドのプロデュース論として解釈できるのでは』と司馬遼太郎作品の面白みを改めて感じる良い機会となりました。
  • 現代のベストセラーと過去の名作を組み合わせる書評?的なものはあまり見かけないので、個人的にはまた書きたいなあ、と思います。特にプロデュース論に連なるものはもっとあったような気がするので。
  • 大変長くなりましたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。よろしければTwitterもよろしくお願いします。

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『Lobotomy Corporation(ロボトミーコーポレーション)』――「ホラー・オカルト」✖「可愛い」が国境を越えている――

  Lobotomy Corporationロボトミーコーポレーション)が盛り上がっています。同作品はSteamで配信されている『未知の怪異を、地下施設で管理する』という独特の世界観をもったシミュレーションゲームです。配信はSteam、開発は韓国の Moon Project 。若手のインディーズゲーム開発グループのようです。最近、英語版・韓国語版に加え、中国語版、日本語版がリリースされました。

 

何がポイントか

 サマリとしては

 1. 『SCP』や『クトゥルフ』のようなコアなホラー・オカルト設定ニコニコ動画や創作プラットフォームを中心に『可愛さ』によって『再生産』され、10代に受容されつつある

 2. そういった世代において『ホラー・オカルト』かつ『可愛い』本作は、自然と注目され、口コミやゲーム実況、二次創作で独特の広がりを見せつつある

 3. 上記のような独特の文化によって、現在主流のモバイルアプリ/コンシューマゲームとは別の形で国を超えた盛り上がりが生まれていること

 がポイントになります。

 なお、私はSCPや本ゲームについては一定知識がありますが、10代に受けている、という部分については掴みかねているところもあり、推測・仮説的な域を出ません。『もっと重要なポイントがある』という方はぜひコメント頂ければ幸いです。

 

以下、詳細

 まず『そもそも、それが何かも不明な怪異(例えば意味不明な形のオブジェクト、明らかに危険な化物……)』を管理する、という非常に難解な『ホラー・オカルト』又はSFチックな設定が、若い層に受けている、ということです。Twitterリアルタイム検索を見ると、いわゆるゲーム好きより、ゲーム配信や二次創作を好む層に受けていることがわかります。

 これには、いくつか理由があります。

 まず欠かせないのが『SCP』という偉大な先駆者の存在です。SCPは『SCP財団』という架空の設定をベースとした一種のシェアードワールド(共通創作世界設定)です。

SCP財団Wikiは、都市伝説及び現代ファンタジーをテーマとした共同創作サイトで、超常の物品・存在を収容し、人々の目から遠ざける秘密組織「SCP財団」 を舞台としたフィクションです。

SCP財団とは - SCP財団

 SCPは確保(Secure)、収容(Contain)、保護(Protect)の頭文字であり、まさに『世界に存在する(架空の)危険又は意味不明なオブジェクトを管理する』という設定を持っています。著名なものではその原点であるSCP-173 (簡単にいうと、見つめ続けている限りは安全だが、瞬きなど一瞬でも視界から離すと襲い掛かってくる生き物……という設定の創作)があります。

 一見して(また開発者コメントでも発表されている通り)、『ロボトミーコーポレーション』がSCPをオマージュしていることは明らかです。ほとんどのプレイヤーも、その前提で『SCPっぽいものを管理するゲーム』として理解されていますし、実際に各種解説サイトもそのスタンスをとっています。

 SCP自体、読み物として面白いのですが、これらが10代をはじめとする若い世代に受容されているのは、やはりニコニコ動画や二次創作の存在が大きいのでは、と思います。例えばPixiv百科事典にも記事があり、イラストも可愛らしいものが並んでいますニコニコ大百科も同様です。

 SCPは文章自体は元々が報告書をベースとしており、非常に堅く、事務的な翻訳調をとったもので(かつ、日本オリジナルの投稿もそのテイストは受け継いでいる)、書かれている内容もグロテスクであったり、悪趣味である場合が多いです。どちらかと言えば、大人向け。もう少し踏み込めば、海外のGeek、SFファン向け、といった趣があります。

 ただ、それゆえに非常に面白い。我々の日常の裏側に、実はとんでもない化物や奇怪なオブジェクトが存在しており、人類をその脅威から守ろうとしている財団やエージェントがいる、というのは、それだけで素晴らしくわくわくしますし、それを大人たちが真剣に投稿している。本当に存在するかのような、もしかすると存在していそうな錯覚に陥る、ちょっとマイナーなコンテンツ。これは(ややオタクな)10代にとっては鉄板でしょう。

 SCP自体は非商業コンテンツであり、先に述べた通り、一般的な小説投稿サイトなどと比べれば比較的マイナーなものです。故に『これはめっちゃ面白い』という熱烈なファン、wikiなどの運営者が多数存在し、二次創作や布教、サイト管理に励んでいる、というのもSCPの特長だと言えます。

 結果として、元々、ホラーゲーム実況やTRPG実況などでウケの良いホラー・オカルト設定のひとつとして、SCPはニコニコ動画他で一定の広まりを見せます。

 ややSCPの話がメインとなりましたが、そういった土壌があっての『ロボトミーコーポレーション』の急速な広がりがある、といえるでしょう。言ってしまえば、ロボトミーコーポレーションのベース自体はある種のSCPファン作品、といっても過言ではないでしょう。

 

 そして、もうひとつのポイントが『可愛さ』です。

 元々ニコニコ動画他でのホラー・オカルト、もしくはコアなコンテンツにおいては『可愛さ』によってコアさを中和する、という手法がとられています。

 例えば『化物の擬人(美少女・イケメン)化』、淡々とした機械音声による『ゆっくり実況』、更に踏み込めばアイドルマスターのキャラクタによる戦争ゲーム実況』や『東方キャラクタを使ったクトゥルフ解説』などです。この流れでクトゥルフやSCPといったコアな作品の世代を超えた受容が進んでいるように思えます。コンテンツの『再生産』として、非常に優れた動きだなあ、と製作者の方々には感心しきりです(このあたりの詳細もどこか別で詳しく調べてまとめたいところです……)。

 『ロボトミーコーポレーション』も、ほぼ同様の手法がとられています。ある意味で『SCP』がもつ『異形に立ち向かうために、多くの職員が死傷する』といったダークな設定を等身が低くデフォルトの効いた『可愛い』系のキャラクタデザインにより『ニコニコ動画のゆっくり実況』や『二次創作イラスト』風味にすることに成功しているように見えます。もし、これを相当ガチな(イラスト)デザインにすると『XCOM』や『AZITO』のような本格SLGになっていくでしょうし、そうなれば、今のような受容もなかったでしょう。

※もちろん、別の市場を開拓できた可能性もあります。ゲーム性について言及すれば、SLGというよりは試行錯誤を繰り返す配置パズルに近いものです。むしろ、それが実況などでウケている、ということからして、ゲームデザイン✖アートデザインの狙い、という点でも開発チームのセンスが優れているのだと思います。

※余談ですが、XCOMレベルの超本格的なSCP管理ゲームも、自分はやってみたいです。

http://cdn.edgecast.steamstatic.com/steam/apps/568220/ss_54183ee9d7dc3d125df090c2fb69bc32c8bc50bc.600x338.jpg?t=1510992071

※ガイド役のAIとの会話シーン。可愛い。お洒落。日本のADVゲーム的ですね。

http://cdn.edgecast.steamstatic.com/steam/apps/568220/ss_1ca2f5995f459084b023233f2fa47e315185ce4f.600x338.jpg?t=1510992071

※実際に対処しているシーン。SCP好きはにやっと出来ますし、適度に世界観を持ちつつ、職員(右側)も、対峙するオブジェクト(左側)もなんか可愛い感じが出てます。

 全体的なデザイン、テイストはどちらかというと『ペルソナ5』に近い印象もあります。そのへんの影響もありそうです。

 

 SCPという先駆的ホラー・オカルトコンテンツ✖『可愛い』系のデザイン。

 ある意味で、日本のニコニコ動画で行わている受容に、ぴったりのアート・UIデザインが行われている、というのは『インディーズ』という世界の先進性をとても感じました。もちろん、他にもホラー✖『可愛い』にはたくさんの事例があると思います。 言ってしまえば『三国志の擬人化』と『SCP✖可愛さ』というのは似ています。どちらも一見コアなものを、別の形で再生産して当たっている、といえるからです。

 しかし、SCPというコアなコンテンツ、ニコニコ動画や日本の二次創作的『可愛さ』、有償のインディーズゲームの早期アクセスでの流行、といった要素を鑑みると、今回は、面白い事例だなあ、と思い、本記事を書きました。

 そして、最後のポイントが『この流行が、主流のモバイル/コンシューマゲームとは明らかに違うところで起きている』ということです。もちろん、規模を比較してしまえば月とスッポンかもしれませんが、こうした独特の掛け算による流行『国を越えて起きている』というのは非常に面白いことです。将来的にマスになるかは別として、こういったコアな局所的流行が、将来の主流になることがないとは言い切れません。むしろ、ここまでコアなテーマ✖独特の『可愛さ』を持つゲームが、韓国で生まれ、英語・中国語・日本語版を出すほどに国を超えて注目を集めていることには、今後のアジアのコンテンツ産業を考える上で、重要なヒントのように感じます。

 

 

 なお、あくまで個人的な感想や解釈のため、ご意見ご感想があればお気軽にコメント頂ければと思います。いずれにしても『Lobotomy Corporation』は、今の10代向け作品を知る、という意味でも、SCPファン作品としても、面白いものです。ぜひプレイして見て頂ければと思います。

「This Is the Police」に感じる「ニッチだけど買いたくなる小規模ゲーム」像

どうも @edy_choco_edy です。
本ブログも前回更新から数年経ちましたがせっかくなので徐々に復帰させようと思います。
引き続き、幸いなことにゲームアプリの開発を続けております。


今回はPCゲーム「This Is the Police」について。
http://store.steampowered.com/app/443810/agecheck?l=japanese


本作は「定年間際の警察署長になって、警察署をマネジメントして勇退を目指す」という大変渋いゲームです。
ジャンルでいうと「経営シミュレーション」✕「選択肢型アドベンチャー」でしょうか。


端的にいうと
▼警察署マネジメントパート
 ・警官(様々な事件に出動。とにかく頭数が必要)や刑事(主に重大事件にのみ出動)を雇用
 ・AシフトとBシフトに能力や頭数を考慮して配属
 ・市庁舎に向けて警官の増員や、サポートであるSWATの出動回数増加などを要請
  戦争モノでいえば、戦闘と戦闘の間の経営パート、ですね。


▼オペレーションパート
 ・本作の1番ゲーム的なところ。
 ・リアルタイムで発生する出動要請に、警官や刑事を派遣
   - 事件に対し、限られた人数のスタッフをどう派遣するかを考え、処理するパートです。
   - 例えば「不審者侵入」なら最大2名、「武装強盗」だと最大10名などの枠に
    何名を派遣するか、という判断。
    少ない人数を派遣したり、無能ばかりだと失敗し
    最悪の場合、警官が死亡したり、市民が死亡して市庁舎からの評価が下がったりします。
   - さらに面倒なのが「市庁舎」と「マフィア」の要請。
    「ちょっと警備の人数足りないから2人よこして」と電話がかかってきたりします。
    まあ、思いっきり癒着です。でも、田舎の警察っぽくてリアル。
    これに派遣できないと、それぞれからの評価が下がります。
    逆にマフィアのところに派遣した警官が
    「こんなことさせられるなら辞めるわ」といってきたり
    その裏で事件が起きて、結局手が回らなくなったり。


   刻一刻と変わる状況で、どこに誰を派遣するか、という行動だけで
   十分に「警察署長」をやっている気分になれます。
   (実際には指令室かなんかの仕事でしょうが、そこはご愛嬌で)

   おそらく、経営・戦略シミュ好きなら、かなり面白いパートだと思います。
   警官のパラメタやイベントによる増減のバランスは若干気になるところもありますが
   メインのゲームルールとしては十分面白いです。


▼ストーリーパート
 ・本筋のストーリーが進行します。
  マフィア同士の鞘当てだったり、連続殺人犯の登場だったり。
 ・ストーリー上の選択肢に加え、定期記者会見における記者への返答もあったりして、面白いパートです。
 ・それぞれ、オペレーションパートでの行動、成果によって分岐したりも。
   海外ドラマや刑事小説好きなら、それなりにあるあるな展開なのがまた楽しいパートです。



詳しくは各種レビュー記事(※)に譲りつつ
本稿ではゲーム開発者としての視点で感想を述べたいと思います。

※ご参考
警察署長ストラテジー『This Is the Police』初ゲームプレイトレイラー公開
http://www.gamespark.jp/article/2015/10/07/60781.html
面白いんですが、2ch含め、日本語情報が非常に少ない……


結論からいうと「このゲームの枠組みが、必要最小限なのに、万能過ぎる」という感想です。


ご存知の通り、世の中には「経営シミュレーションゲーム」という一大ジャンルがあります。
「テーマ○○○」や「○○○タイクーン」という呼称が確立する程度には、海外でも一定人気のあるジャンルです。


広義でいえば「神として信仰民を導く」というものから
おなじみの「市長になる」「遊園地づくりをする」というメジャーから
「物流を一手に担う」「農家になる」「刑務所長になって設計から囚人の飯の世話」まで
内容は多岐にわたります。大変ニッチな職業も混ざっているところを見るに
「ある職業(や企業)を体験したり、運営してみたい」という憧れがあるところ
ゲーム化の余地あり、ということだと思います。


本作「This Is the Police」がすごいのは
非常にシンプルなつくり(基本的には繰り返し)にも関わらず
「どんなニッチな職業・企業でも、この枠組みなら(なりきりとしては)十分面白くなりそう」と思わせるところです。


なお、誤解を避けるためいえば「パーフェクト」ということではありません。
必要最小限、十分に面白い、というゲームをつくることができそうだ、ということです。


いかんせん、経営シミュレーションゲームを開発しよう、となれば
「やっぱり施設建設を充実させたい」とか「この職業ならこの行動は必須だ」
と、夢を広げてしまうところですが
本作を遊んでいると「これで(なりきり体感ゲームとしては)十分だな」と思えるところが素敵なところです。


つまるところ、経営シミュレーションゲームの本質が
・リソースによる事前準備
・リアルタイムでの事案への対処
・それによるストーリーの(具体的もしくはプレイヤーの妄想としての)進行、リソース獲得
の繰り返しであり、本作がそれを、ほぼ必要最小限といってもいい枠組みで満たしている、ということだと思います。


けしてグラフィックが派手なわけでも
ものすごい特別な「シミュレーション」が行われているわけでなくても
十分に「警察署長」をやっている気分になれる。
となれば「警察署長」を以下のものに置き換えても、十分面白そうだなあ、と妄想できるし
また、つくってみたいなあ、と思えてしまうところに、大きな魅力があります。
※そういう意味で入国審査官になる「Paper,Please」とかとても面白いのですがこの枠組で、すぐに別のゲームをやりたくなるか、と言われると、ちょっと悩ましいところです。


(妄想例)
第二次世界大戦末期のドイツ軍の、とある都市の防衛司令官
 - 偵察報告や怪しげなメモの通告から、部下の士官(と部隊)をどこに送るか捌き続ける
 - 総統府(だんだんと指示がおかしくなる)、市庁舎(物資などの供給元)、赤軍シンパのレジスタンス(敵だが、降伏時や戦後処理の際の自分の身の安全のため重要)とどう付き合うかも重要。
パンデミック(伝染病の爆発的感染)の起きた世界での、とある国の感染対策責任者
 - 戦略級でも戦術級でも。国連や各国の保健相、CDCの連絡などから、部下をどこに送るか捌き続ける
 - 国連(動きが遅い)、CDC(指示は的確だがアメリカ第一)、多国籍の巨大製薬企業(超頼りになるが倫理的に怪しく、ぶっちゃけ癒着)とどう付き合うか
・ウェブメディアの編集長
 - 様々なタレコミから、ライターやカメラマンをどこに送るか捌き続け(以下略)
・X-COMっぽい宇宙人襲来
 - レーダー情報や週刊誌情報から、隊員をどこに送るか(以下略)
・なろう系
 - 全略。まあ、ほぼ皆さまの想像通りです。


……と、もとが優れている分、妄想はいくらでもできるわけですが、それがまた、重ねてになりますが本作の素晴らしいところだと思います。
そしてまた、自分レベルの(ちょっとした)経営シミュレーション好きが妄想してわくわくする、ということは
世界レベルにすれば、それなりの方々が潜在的な購買層として存在していると思います。


特に海外ドラマ(特にアメリカ)における「本格職業モノ」というのは根強いものがあります。
本作は『必ずしもゲーマーじゃなくても納得して遊べるレベルのゲーム性』というバランスも満たしている印象で
となると、そのときの流行りによって幅広い打ち出し方もありそうだな、と思ったり。


警察モノについては、もはや説明不要かと思いますが
「ER」のような医療モノ、「ホワイト・カラー」のような法律・リーガル物や
サード・ウォッチ」や「シカゴ・ファイア」のような911(消防救急)物などはすぐにでも応用できそうです。
「ウェストウィング(日本ではホワイトハウス)」や「ハウス・オブ・カード」のような政治でも、時間軸を工夫すれば行けそうです。
※余談ですが911モノならば「911 Operator」という期待作もあります。
ただ、こちらは「ストーリーパート」がやや弱そうなので、「This Is the Police」との比較で言えばかなりゲーム寄りです。



「ニッチだけど買いたくなる小規模ゲーム」というのは様々なアプローチがあると思いますが
まさしく、本作のような「枠組みとして最低限のものを満たしている」という感覚は
購買者の求めるものと、開発者として「実際に開発しきれる」もののバランスを考える上では非常に重要だと感じます。
そしてまた「似たようなゲームをもっと遊びたくなる」という需要を掘り当てることができれば、商業的にも素晴らしいことだと思います。誤解のないようにいえば「どんどん横展開できるようなものをつくろう」ということではなく、それくらい「最低限必要なギミックで、人を満足させる、需要を刺せるというのは素晴らしいな」、と。


インディーズゲームの最新流行などは自分もまだまだ不勉強なのですが
本作には大きな魅力を感じましたし、ビジネス的な可能性も感じました。


本作の開発元は、なんとベラルーシミンスクにあるインディーズデベロッパーとのこと。
weappy-studio
http://weappy-studio.com/
突然の横展開や版権展開、とはいかないと思いますが、今後が楽しみです。


というか、どこかのパブリッシャーが目をつけてブランド化したりとか、ないですかねえ。
「This Is the Police ツクール」とか、超欲しい。いや、マジで。
いつかベラルーシに行くときは、彼らを訪問する、という楽しみができました。今後にも期待です。

ねとぽよ「ソーシャルゲーム講義録」などなど

どうも @edy_choco_edy です。こんばんは。
最近はネットの寄稿はお休みで、電子書籍「ねとぽよ」の方にお世話になっています。

特にねとぽよ第1号の方では「ソーシャルゲーム講義録」という形式で日米のソーシャルゲーム史をまとめました。
各所で好評だったようなので、興味のある方は下記リンクからどうぞ。

「ねとぽよ」第1号
http://netpoyo.jp/sample/01/

また、第1号のソーシャルゲーム特集から波及したリアルイベントにも(遠隔)参加しました。
こちらもなかなか好評で盛り上がったのは嬉しかったですね。

「朝まで生ソシャゲ」(開催済)
http://netpoyo.jp/event/20120331

今後ともソーシャルゲーム界隈で頑張っていきたいと思いますので
引き続きよろしくお願いいたします。