【書評】令和元年の『錯覚資産』と昭和38年の『功名が辻』で学ぶ「プロデュースすること/されること」
この記事のサマリー
書籍『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』と司馬遼太郎『功名が辻』はセットで読むと大変面白い
- 司馬遼太郎『功名が辻』(昭和38年連載開始)は「錯覚資産でプロデュースすること/されること」の実践論として読める。
- 『東京オリンピックの前年』としての令和元年と昭和38年
- 漠然とした高揚感と不安の中で『個人としての功名論』≒『錯覚資産』論は膾炙する - 実践に踏み出す人ほど『功名が辻』を読んで欲しい
令和元年の『錯覚資産』
『錯覚資産』は、ブロガーとして有名なふろむださんが書籍『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』で提唱・紹介したことで一躍有名になった考え方です。
- 作者: ふろむだ
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2018/08/09
- メディア: Kindle版
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こちらの本は一部内容が無償公開されていたり、ご本人による連載記事が充実しているので詳しくはそちらに譲りますが、ご本人の定義を引用すると以下の通りです。
「錯覚資産」とは 『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』 という本の中で私が定義した概念で、 「人々が自分に対して持っている、自分に都合のいい思考の錯覚」 及び、それを引き起こす事実のことです。
内容としては、心理学でいうハロー効果や認知バイアスであり発想自体は新しいものではない、と著者も述べていますが、その活用をキャッチーにまとめきったことが新しく、タイトルを含めて世間に一石を投じた本です。
- 内容については賛否両論があるようですが、著者曰く「まずは知らしめること」 が目的とのことで、その点では大成功している印象です。
- 『錯覚資産』という呼び名がキャッチーでタイトルが挑戦的、露悪的だったことも含めて、著者の戦略勝ちだなあー、と感心していました。
- もともと日本でも2000年代から『セルフプロデュース』や『セルフプロモーション』の重要性を主にアメリカのビジネス書から輸入した書籍が多くありましたが、以下のような情勢から、ついにベストセラーに結実した、と言えそうです。
- SNSの進歩で誰もが世間にアピールしやすくなったこと
- 転職や起業が急速に一般化されるようになったこと
- その経済的成功がマスメディア、特にテレビでも好意的に語られるようになったこと
- 結果的に、多くの人が『なんとなく』不安や懸念を抱き始めてきたこと。
- 書籍の初出は2018年8月ですが、現在も書店で平積みされていくことを見ると「令和元年」の雰囲気にマッチした一冊、と言えます。
昭和38年の『功名が辻』
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2005/02/10
- メディア: 文庫
- クリック: 14回
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- 本作は、司馬遼太郎の作品の中でも珍しく、女性が主人公になっています。
そしてまた、英雄譚というより『プロデューサー論』として読める面白みがあります。
例えば、プロデュース論として特に具体的に描かれているものとして、物語序盤で山内一豊が名馬を購入する話があります。
- 『功名が辻』1巻のラスト「十両の馬」という章です。
- このエピソードは戦国武将の逸話をまとめた江戸時代の書『常山紀談』にも登場する著名なもので、下記からほぼ内容を読むことができます。 iyokan.itigo.jp
端的にいうと
そんな中、一豊の妻 千代は貧乏生活に耐え忍び、嫁入りの際からずっと大切にしてきた黄金の小判10枚で、その馬を買うように、と勧めます。
- 千代は以下のように一豊に話します。
- 面白いことに一豊は大喜びしつつも以下のように恨み言を言います。
- なぜ貧乏生活の中でもっと早くこの黄金のことを言わなかったのか
- こんな大切なものをなぜ夫の自分に隠してきたのか
- 理由はよく分かるが、賢すぎる(ぶっちゃけ怖い)
このあたり、凡庸な男が賢すぎる妻の言葉に困惑する姿が大変生々しく描かれており、司馬遼太郎の筆力に惚れ惚れする場面でもあるのですが、それに対する千代の対応もまた素晴らしく、ただただ泣くことで、一豊を驚かせ、納得させるに至ります。
- 内心、ちょっと賢すぎたかな、と、とりあえず泣いてみせる、という当たりに千代という女性の、ある意味で恐ろしいほどの賢さが表現されたエピソードでもあります。
その後、結果的に山内一豊の評判は大変高まります。例えばこんな風に、です。
『十両の馬』に見る、「自然さ」という『錯覚資産』プロデュース論
- 以降、司馬遼太郎はこう語ります。
『人が、他人を見ている眼は、するどい一面もあるが、他愛のないうわさなどで映像をつくってしまうようである。千代は、そういうことを見抜いていたようであった』
『千代は、馬などよりも「うわさ」を黄金十枚で買ったといっていい。馬は死ぬ。うわさは死なないのである』(「功名が辻」1巻より引用)
これらの文章から、千代という人物が、夫である山内一豊の印象を的確に捉え、その印象・評判の向上のため『投資をした』『プロモーションを仕掛けた』という、今風にいえば『プロデューサー』であったことを、司馬遼太郎が指摘したかったのだろう、ということが分かります。 - 更に、このエピソードを通じて、千代が単なるプロデューサーではなく『錯覚資産形成において優れたプロデューサー』であったことを示す構造が隠されています。
千代という女性が馬を通じた夫の一豊に投資した構造は、以下のようになっています。
- ①『馬揃え』を理由に、一豊に馬を買わせたこと(短期的な目的による本人の説得)
- ② 実際には『名馬を買えるほどの人物である』という一豊の評判のために投資を行ったこと(錯覚資産を通じた長期的な評判の形成という隠れた目的)
- ③ しかも、本人には「評判形成」という「隠れた目的」を知らせなかったこと
ここで重要なのが3番目の「一豊本人には隠れた目的を知らせなかったこと」=「自然さ」というプロデュース方針です。
- 思うに「錯覚資産」形成や「プロデュース」において危険なことのひとつに「本人/周囲がそれを意識しすぎることで、失敗すること」があります。
- 分かり易い例でいえば、あまりに強いゴリ押しのアピールにより「本人が意識しすぎる」「周囲がそれを感じ取る」、結果として「不自然さが露呈し、ひんしゅくを買う」といった失敗です。
- 「英語が話せることをアピールし過ぎて邪見にされる新入社員」
- 「露出のためにキャラを変えようと様々な努力をするも痛々しいタレント」
- 分かり易い例でいえば、あまりに強いゴリ押しのアピールにより「本人が意識しすぎる」「周囲がそれを感じ取る」、結果として「不自然さが露呈し、ひんしゅくを買う」といった失敗です。
- いずれも、スキルや努力としては悪いものではなくても、受け入れられにくい「不自然さ」が残ってしまいます。
- 残念ながらこれらは「プロデュース」としては失敗事例といってもよいでしょう。
- 思うに「錯覚資産」形成や「プロデュース」において危険なことのひとつに「本人/周囲がそれを意識しすぎることで、失敗すること」があります。
この「十両の馬」のエピソードでいえば、千代の図らいにより、一豊の認識は以下のようになり、理想的な結果を生み出します。
- 妻の内助の功でなんとか手に入れることが出来た、という認識
- 本人が実力を見誤らない
- 結果として調子に乗らず、ただ事実を述べることができる
- その自然な事実が、人々に好感を得て、良い噂として広まっていく
- ただただ馬が欲しい、という要望を妻が叶えてくれた、という認識
- これにより、投資者である千代に対する自然で、深い感謝の念が生まれる
- 結果として、プロデュースする側/される側という意識が生まれずに、効果・結果と良い関係性が維持される
- 妻の内助の功でなんとか手に入れることが出来た、という認識
- もし仮に「一豊の自身が財産をもって馬を買う」或いは「評判形成という意図を明らかにして千代が投資した」場合、前述のような『自然さ』は生まれず、上記のような理想的な結果には至らなかった可能性があります。
- 分かり易くいえば「一豊が自分の財産で買ったことにする→調子に乗る→破滅」「一豊が千代の賢さに劣等感を抱き続け、自信を持てない→破滅」といったルートです。
- 結果としていえることは、このエピソードから「内助の功」や「良妻賢母」といった単語に収まらず、千代という“冷静なプロデューサー”による“自然さ”に則ったプロデュース方針が、山内一豊の評判を飛躍的に高めた、ということが読み取れる、ということでしょう。
東京オリンピック前年の「錯覚資産」と「功名が辻」
- 『功名が辻』が連載されたのは昭和38年から昭和40年、西暦でいうと1963年から1965年という「高度成長」の期間です。
奇しくも同じく「東京オリンピックの前年」というタイミングで人々の心情に対して、最も現代的なアンサーとして支持を集めているのが書籍『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』、『錯覚資産』に注目が集まっていることは、けして偶然ではないように思えます。
個人的に興味深い、書籍『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』と『功名が辻』の共通項がもうひとつあります。
それはいずれも「職業人としてより良い個人ブランドとは?」をテーマとして、その具体的なアプローチを説いていることです。
例えば、あるタイミングで、山内一豊は「年収アップ」のために「転職」をします。司馬遼太郎は、会社員の比喩で以下のように描写しています。
『(与力とは)いわば、出向社員のようなものである。親会社から派遣されている将校のことで、これがこんどの場合、羽柴という子会社の社員になった、というわけである』(「功名が辻」1巻より引用)
この転職とその成功のためのプロデュースもなかなか面白く、妻である千代が、織田信長配下のままよりも、羽柴秀吉の直属の部下としてリスクをとっていくべきだ、と考えたうえで「自然さ」という原則を守ったうえで、現代のサラリーマンに通ずるアプローチを行っています。
この点を取り上げても「単純接触効果」など心理学を駆使して、適切な形でブランド形成を行い、「転職の成功」に繋げていることは「錯覚資産」の描写としても、かなり先駆的なもの、といっても良い内容です。
「高度成長期(昭和38年)」と現代では、多くの状況は違うものの「オリンピックの前年」という漠然とした高揚感、期待と不安の中で人々が「自分自身」のことに目を向け、答えを求める様は変わらないようです。
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2005/02/10
- メディア: 文庫
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